「競う花に癒し(いやし)は生まれない」
これは、園芸学校の先生の一人が私におっしゃった言葉です。
私が、生け花や、フラワーアレンジメント、ブリコラージュフラワーなど、様々な花のスタイルを勉強してきたことを話した際、
「あなたはどんな花を活けたいの?」
と聞かれたので
「人が癒されると感じるような花です」
と答えたところ、この答えが返ってきました。
競う(きそう)花、って何?
競う(きそう)花とは、いったい何だろう。
コンテストにしょっちゅう出品しているとでも思われたのか。
でもそうでもないような気がする。
私の中で、この言葉がずっとひっかかっています。
元々花が好きで、活けたり、植えたり、育てたりしながら楽しんできたわけですが、
綺麗にできた、だけでないものを求めて、園芸療法の勉強を始めました。
園芸療法で必要なこと
勉強していく中で、園芸を使って人を健康な生活に導くためには、
花や野菜の知識や美しさの追求よりも、もっと大切なことがあることがわかってきました。
対象者の現在の心身の状況理解、リスク管理、対象者への言葉かけや話を聴くことの重要性、1人1人の対象者のためのプログラムの構築などなど。
私が今までやって来たこと、
・綺麗に活けたい
・可愛い花、珍しい花を使ってみたい
・色の取り合わせを工夫したい
・デザインや花器を凝ってみたい
それは二の次です、と言うことがおっしゃりたかったのかなあ、と思うようになりました。
ところが、私はいまだに
「うん、いい感じ」「上手に植えられた」「綺麗にできた」「もっとうまくなりたい」
を追求することがやめられません。今でもそちらに重きを置いてしまう自分に気づきます。
「あの人より上手くなりたい」と他人と比べるわけではありませんが、今の自分よりももっと上手になりたい、と思うのです。
これは競うことではない?
向上心?
園芸で人のお役に立ちたい、と言いながら、上手く美しく活けることに力を注いでしまっています。
2021年9月にまちなみガーデンショーに出展し、最優秀賞をいただきました。
とても嬉しかった。
作品を、全く知らない方々が写真を撮って、InstagramやFacebookにアップしてくださいました。
見に行ってくださった方の中には、「可愛かった」「インスタ映えするね」「テーマにじんときた」等の感想も寄せてくださいました。
皆様の反応を見ていると、人々の中に癒しは生まれている気がします。
でも、タイトルのこの言葉が浮かんできて
私は何をやっているんだろう、と言う気持ちにさせられたのも事実です。
園芸療法士たるもの、その腕を磨くのではなく、もっと他に勉強することがあるでしょう、と言う声が聞こえてきそうな気がしました。
次回に向けてまた構想を考える時、この度の受賞はちょっとプレッシャーとなります。
今回のように、のんびり楽しくガーデン作りができるのか、と思うと、この「競ったあとの心境が自分を癒さない」ということだろうか、とも思います。
私は何をしたいのか。
なんだか園芸療法を学ぶ前のもとの自分に戻ってしまったような気がして、焦る日々です。